2日目 3月8日(金)
2日目も天気は快晴で絶好の見学日和でした!
今回もホテルから先日と同じくタクシーを使って見学しました。
まず山王塚古墳へ向かいました。終末期の上円下方墳であるこの古墳は範囲確認調査が行われた中にお邪魔し、発掘後の様子を見学しました。
この調査では、古墳の周溝と上円部・下方部の形成時の盛土や、石室に使用されていたと思われる石材片が確認されていました。
正確な墳丘規模などの特定はこれからとの話を聞き、この地域でも珍しい最後期の古墳なので、これからの調査に期待がかかる古墳でした。
説明を聞く一同 |
続く河越館跡では、平安時代から南北朝時代にかけて軍事拠点として建てられていた城館ですが、現在は公園に整備され、当時の井戸や塚状遺構が復元されていました。
ここでは運動場のような広い広場となっていたのですが・・・。
今回も見学会恒例の競争がありました。今回初参加のゼミ生も一緒に走ってくれました。みんなかなり必死です(笑)。
続いて向かった見学地はかなりの数の横穴墓群を持つ吉見百穴です。
吉見百穴にて |
この遺跡は明治時代に発見、発掘され、その後に洞穴を軍事施設に転用されるなどの歴史を持つ横穴墓群なのですが、多数ある洞穴の中を見学することができました。
しかし、気軽に見学することが出来た洞穴内部には心ない観光客によって書かれたであろう落書きや、捨てられたゴミが中にあるなど、せっかくの遺跡が台無しになってしまういたずらがあり、心が痛みました。
次は百穴の近くに建てられていた山城である松山城へ向かいました。現在は曲輪や倉の位置が看板で説明されているのですが、険しい山道を登っての見学であり、城があったころのこの場所を攻める難しさを想像させました。
次は埼玉県埋文調査事業団へ見学に向かい、調査整理の様子や、多数保管されている考古資料の様子を職員の方に案内、説明してもらうことができました。普段研究室でも行っている整理作業なのですが、 本格的な機関の整理現場を目にする機会は多くあるわけではありませんので、こうした機会は貴重でした。
この事業団にて私が最も印象に残っている場所は、遺物収蔵庫です。ここでは埼玉県各地の土器、埴輪といった多数の遺物を目にする事ができ、関西と関東の土器一つとっても文様や器種などの違いを感じました。
また、収蔵庫の遺物はすべて番号によって管理されており、報告書に記載されている遺物がどれかがすぐに分かるような工夫がなされていました。
2日目の見学はこのような感じで終了しました。発掘現場に埋文事業団と、遺跡見学とはまた趣向の違った発掘調査と整理作業の様子に触れることができた1日でした。
最終日に続く・・・
あんちん
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