2日目 3月7日(水)
2日目は、朝ホテルを出発し、まず仙台市内を中心に遺跡等を見学しました。
最初は仙台バイパスの横にある遠見塚古墳を見学しました。
遠見塚古墳は(写真ではそれほど大きくは見えませんが)全長が110mと東北地方では大規模な前方後円古墳です。 見渡しも大変よく、現在は古墳公園として整備されていることもあり古墳の全形も分かりやすく見ることが出来ました。
よくみると前方部の墳長が平坦になっており、これは…「走るのにちょうどいい!!」
ということで、お約束の競争のため走ってまいりました(^_^;)
続いて移動しながら法領塚古墳を見学。高校の敷地内にあったため、車内から見学するのみでした。
陸奥国分寺には古代の痕跡は礎石が残るのみでしたが、以降に建てられた薬師堂が残っていました。薬師堂は伊達政宗が泉州(今の大阪府)の工匠駿河宗次郎を招いて慶長12(1607)年に再建したものです。やはり伊達政宗の存在なしにこの時期の仙台の歴史は語れないのでしょうか?!(笑)
この後は仙台市の沿岸部を抜けながら多賀城市方面へ移動。そこは、昨年の大地震の津波で大きな被害が出た地域です。テレビ・新聞等で何度も見ていた光景ですが、実際目の当たりにすると自然の力の大きさと現地での状況がよくわかりました。
その後東北歴史博物館東北全体に及ぶ普段近畿の博物館では見慣れない資料が並ぶ展示を見ながら、自分たちは東北にいるのだと改めて感じました。
私としては何度も名前を聞いていた里浜貝塚の骨角器(動物の骨 や角や牙 で作った道具)を見ることが出来たことが何よりの収穫でした。
その後東北歴史博物館東北全体に及ぶ普段近畿の博物館では見慣れない資料が並ぶ展示を見ながら、自分たちは東北にいるのだと改めて感じました。
私としては何度も名前を聞いていた里浜貝塚の骨角器(動物の
多賀城は高校までの教科書にも登場する古代東北の要所です。神亀(じんき)元(724)年、大野東人(おおののあずまびと)によって創建された奈良・平安時代の陸奥国の国府で、行政の中心地でした。また、奈良時代には鎮守府も置かれるなど、軍事の中心でもあった場所です。昨年訪れた大宰府とほぼ同時期の存在した律令制度のもと作られた国家の出先機関として有名です。
(昨年太宰府に立っていたときは、翌年多賀城にいるとは思っていませんでした 笑)
また、写真に移っている覆屋内の多賀城碑は日本三古碑の一つとしても知られています。
その後政庁跡から少し外れた場所の多賀城廃寺へ向かったのですが、ここでの注目ポイントは写真も掲載した塔跡です。基壇の高まりが山のようにそびえる様は、他に見たことがありません。(決して方墳=平面方形の古墳ではありませんよ 笑)
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