2012年3月14日水曜日

ゼミ旅行2日目!!


2日目 3月7日(水)
 

 2日目は、朝ホテルを出発し、まず仙台市内を中心に遺跡等を見学しました。


 最初は仙台バイパスの横にある遠見塚古墳を見学しました。
 遠見塚古墳は(写真ではそれほ
ど大きくは見えませんが)全長が110mと東北地方では大規模な前方後円古墳です。 見渡しも大変よく、現在は古墳公園として整備されていることもあり古墳の全形も分かりやすく見ることが出来ました。

 よくみると前方部の墳長が平坦になっており、これは…「走るのにちょうどいい!!」

ということで、お約束の競争のため走ってまいりました(^_^;)

遠見塚古墳遠景



 続いて移動しながら法領塚古墳を見学。高校の敷地内にあったため、車内から見学するのみでした。

車中からみた法領塚古墳



 陸奥国分寺には古代の痕跡は礎石が残るのみでしたが、以降に建てられた薬師堂が残っていました。薬師堂は伊達政宗が泉州(今の大阪府)の工匠駿河宗次郎を招いて長12(1607)に再建したものです。やはり伊達政宗の存在なしにこの時期の仙台の歴史は語れないのでしょうか?!(笑)

陸奥国分寺跡(奥に見えるのは講堂跡・現薬師堂)


 この後は仙台市の沿岸部を抜けながら多賀城市方面へ移動。そこは、昨年の大地震の津波で大きな被害が出た地域です。テレビ・新聞等で何度も見ていた光景ですが、実際目の当たりにすると自然の力の大きさと現地での状況がよくわかりました。


 その後東北歴史博物館東北全体に及ぶ普段近畿の博物館では見慣れない資料が並ぶ展示を見ながら、自分たちは東北にいるのだと改めて感じました。
 私としては何度も名前を聞いていた里浜貝塚の骨角器(動物のや角やで作った道具)を見ることが出来たことが何よりの収穫でした。

 多賀城は高校までの教科書にも登場する古代東北の要所です。神亀(じんき)元(724)年、大野東人(おおののあずまびと)によって創建された奈良・平安時代の陸奥国の国府で、行政の中心地でした。また、奈良時代には鎮守府も置かれるなど、軍事の中心でもあった場所です。昨年訪れた大宰府とほぼ同時期の存在した律令制度のもと作られた国家の出先機関として有名です。
 (昨年太宰府に立っていたときは、翌年多賀城にいるとは思っていませんでした 笑)

 また、写真に移っている覆屋内の多賀城碑は日本三古碑の一つとしても知られています。



覆屋内の多賀城碑を見る一同
 

政庁正殿前で記念撮影



 その後政庁跡から少し外れた場所の多賀城廃寺へ向かったのですが、ここでの注目ポイントは写真も掲載した塔跡です。基壇の高まりが山のようにそびえる様は、他に見たことがありません。(決して方墳=平面方形の古墳ではありませんよ 笑)

多賀城廃寺の塔基壇


 昼食後は七ヶ浜町歴史資料館・大木囲貝塚へ向かいました。この遺跡で出土した土器は「大木式」とよばれ、縄文時代前期から中期の東北時代の土器を考えるうえでの標識資料になっているものです。今でこそ高台から少し離れた場所に海を望むことのできる位置にあるこの遺跡ですが、当時は高台から降りてすぐの場所に入江があったとのお話も聞くことが出来ました。


資料館内で説明を受ける一同


大木囲遺跡から海を眺める


 この日は厳美渓温泉に宿泊です。ゆっくり温泉につかって明日の備えましょう。

3日目へ続く

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